※これは「近畿一人旅・最終日」の続編です。
無事小田原に着きました、カンカンです。
早速万葉の湯!と行きたいところだが、まずは夜ご飯。
神奈川に帰ってきたので、洗礼を受けるよ。
小田原商店にて、家系ラーメンを食べる。
硬め濃いめ多め。にんにくと玉ねぎを追加。
やっぱこれだわ。
久々の味に懐かしさを覚えながら、完食。
万葉の湯に入る。
朝の9時まで居られるから疲れを取りつつも存分に楽しもうと思う。
それでは。。。。
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おはようございます。カンカンです。
8時に起床。
リクライニングシートでもしっかりと7時間寝ることが出来た。見えない疲れが溜まっていたのだと思う。
温泉も最高。特に檜風呂が良かった。
(温泉施設だから写真はありません。思えばリクライニングシートくらい撮っとけば良かった)
1200年前の歌集「万葉集」にも湯河原温泉に関する歌が掲載されているが、昔から湯河原温泉が愛されていたことがよく分かる。
出発する前にもう一度温泉に浸かる。
昨日は入ったのが遅かったものの、最大23時間居られて4000円はなかなか安いと思う。
さて、今日は午前に小田原を観光。午後は帰路に着く予定。
タイトルの由来はこれである。
まず小田原と言ったら小田原城。神奈川県で唯一日本100名城に登録されている城だ。
という事で小田原城まで歩く。
皮肉のような良い天気である。
外国人観光客が喜びそうな建物。でも今日はやってなかった。残念!
(猿。かわいい。)
敷地内をそこそこに歩き、いざ城内に。
(写真全然撮れてなかった…申し訳ない)
天守の高さTOP10ランキング。
今回の旅では小田原城含めて4個しか回れていないようだ。日本は広い。
小田原城は15世紀末から北条氏により約100年、関東地方を治める拠点になっていたが、1590年に豊臣秀吉が小田原を攻めた事で北条氏は滅亡。同時に戦国時代が終焉を迎えた。
その後は大久保氏によって治められ、城の姿を一新。関東地方の防御の要として幕末まで至った。
明治3年に廃城となり、多くの建物が解体。更に関東大震災で石垣もほぼ全壊。
江戸時代の姿は完全に失われた。
しかし戦後の1960年。沢山の小田原市民の手により天守閣が復興された。
解体から90年後の出来事であった。
今でも小田原城は、廃城や地震を乗りこえて優美な姿で小田原地域を見守っている。
小田原の農家に生まれた彼は幼い時から働きながらも勉強する姿が有名。その姿は二宮金次郎像として戦前は全国の小学校に置かれていたが、戦時中に鉄不足を理由に多くの像が回収されてしまった。
今でも“幼少期から働く姿が時代にそぐわない”などの理由で数を減らし、全国的に見ても殆ど残っていないのだとか。
お参りをした後、神社を出る。
なんとなく、背中を押されている気がした。
次は小田原城址公園こども遊園地。
名前の通り子供向けの施設だが、豆汽車は大人だけでも乗れるとのことで、乗ってみることに。
(車窓。結構きれい。)
(木が邪魔!)
子供だましではあるものの、80円で乗った割には楽しめた。たまにはこういうのも悪くないのかも…
遊園地を出て、昼ごはんを食べる場所を探すべくベンチに座る。すると、変わった容貌の二人組に声をかけられた。
もしや、とは思ったがやはりそうだった、宗教勧誘。
勧誘を直接受けるのは初めて。
彼らは「末日聖徒イエスキリスト教会」を名乗った。俗に言うモルモン教だ。
これも経験だと思い、適当に相槌を打っていたが彼ら、話が上手く通じない。
詳細を書くと尺が足りないので割愛するが、今後新興宗教の勧誘を受けたら、もっと強気な態度を取ろうと思いました。
気を取り直して、昼ごはん。
海に近い町に来たということで、海鮮の店を調べていたらヒット。
「海鮮丼屋 海舟」にて
生しらすが入荷したらしいので、ネギトロユッケ丼に生しらすをトッピングしてみた。
これが美味い!!
回転寿司などで食べる刺身も美味しいが、新鮮なものはやはり一味違う。
特に生しらす。
釜揚げとは違い、透明度がありツルッと食べられる。
丼から溢れるボリュームで少々食べづらかったが、完食。ご馳走様でした。
店を出て、他に特に行くところもなかったので帰路に着くことにする。
ということで、番外編という形でしたが、小田原編終了です。
単発でしたが、いかがだったでしょうか。
普段神奈川に住んでいるものの、こうしてじっくりと観光したのは初めてだったのでなかなか新鮮でした。
後日、旅の総集編を出して全編完結です。
それでは。